前田利家 その30 『野心満々たる伊達政宗』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

「野心満々たる伊達政宗」

利家は小田原征伐のなか、もうひとつの難問を抱えるようになった。

要塞堅固な山国会津に拠って野心満々たる奥羽の諸豪族を率いている伊達政宗です。

屈強なる奥羽の地侍を擁して、機変測り知れない伊達政宗は、まだ秀吉に服属していなかった。当然、秀吉

は政宗を疑い、怒りの色を顕わにしている。

小田原征伐が終了すれば、続いて奥羽に出馬して伊達を誅伐することは明白である。

政宗はかかる形成を薄々察知してか、さらに実情を探らせるために小関大学なる家臣を利家のもとへ送って

来た。

da.伊達政宗白装束

「今や、そのようなのん気に構えている場合ではない」

と早速、利家はわざわざ小田原の本陣へ秀吉を尋ねると、伊達政宗に異心のないことまで口添えしてやった。

かくして、政宗はようやく5月9日に会津を出発した。

死を覚悟で、金箔の十字架を押したて小田原に向ったというのはこの時です。

秀吉は陣中で政宗に茶の湯をもてなし、刀を授けるなどして歓待慰労したという。

奥羽の独眼流と称される剽悍な若武者は、帰属させればそれでいいと当初から考えていたのでしょう。

北国探題としての前田利家もいたずらに誅罰を加えるのではなく臣従させるべきであることを進言したので

しょう。

政宗は会津から陸奥54郡、出羽14郡の領地へ転封されますが、この小田原参向はまず上首尾であった。


お蔭様ですっかり元気になり、走り回っています。
その後は、足元に寄り添って休憩です。 結構かわいいところがあります。
sakura 20120515 002

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 忍城
石田三成は、本陣を忍城が一望できる近くの丸墓山古墳に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設した。
しかし忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となり、城側は大いに面目を施すことになった。このことが、「忍の浮き城」という別名の由来となっています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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