前田利家 その31 『慶次郎の奥羽検地』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

「慶次郎の奥羽検地」

伊達政宗の小田原征伐参陣後、利家は武州・八王子城を激しい攻防戦の後、陥落させた。

7月になると小田原の落城も時間の問題と思われるようになってきた。

小田原城
od.小田原城 20100704 002

そんな時、秀吉は利家に奥羽地方の検地を命じた。

利家は監察使を引き受けると、一部の兵力をひきつれ利長を同伴して奥羽地方へ出発した。

いつの時代いかなる地方でも、検地は土着民の最も嫌うところです。豊臣政権としては未知の奥羽へ、

新権力者の最初の代官として乗り込むのであるから、威勢を示すため人数は少なくてはいけないし、

多すぎてもいけない。整々と厳粛なる進退を要求される難しい任務です。

利家は思うことがあって、前田慶次郎を検地奉行に任命すると、その実務に当たらせた。この人事に

は誰もが疑念と危惧感を抱いたようであった。

実際、慶次郎は悠然と境界ごとに高所に立ち、周囲を見渡しては

「あちらが5万石、こちらは3万石」

という具合に、ごく無造作に算定を申し渡した。

大雑把で甚だ心細い計算であったが、念のために何ヶ所かを実測してみると、殆ど差はなく、どこも僅

かながら少なめに算定してあった。

この検地奉行は土着民に歓迎されたという。

「今は何よりも人心の安定が先決問題である。正確な計量は何回か繰り返しているうちに自ずから定ま

るものである」

というのが慶次郎の見解であり、同じ意見をもつ利家の監察方針でもあったのです。

奥羽検地も北国探題の役目のひとつです。その任務を無事に果たして、利家が京都へ引き揚げて来た

のは8月初旬のことで、諸大名はすでに領国へ帰った後であった。

pig 20120517 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 伊達家と後北条氏の間に同盟があったから
伊達家にも秀吉から上洛して恭順の意を示すよう促す書状が幾度か届けられており、政宗はこれを黙殺していた。
政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にあったため、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたという。

≪本日の問題≫


                                      <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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