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武将が入っていたお風呂とは?

『武将が入っていたお風呂とは?』

かつての日本では、風呂と湯とは別物でした。

風呂というのは「蒸し風呂」であって、いまでいうとサウナ形式の蒸気を浴びるもので、「湯」とはお湯に体

を浸すものでした。

これが次第に混同されて、風呂屋も湯屋も一緒になってしまったのが江戸時代でした。

風呂のはじまりは瀬戸内海の各地に残る石風呂、あるいは内陸部に残る釜風呂の跡から類推することが

出来るそうです。

先ず穴の中で火を炊き、床石や側面を熱しそこへ海藻や生木、塩水に浸したむしろなどを敷き詰め、蒸気

を発散させたのです。

塩分や海藻、植物の成分が含まれ、治療効果をもたらしたといいます。


福山城湯殿 (福山城登城記は、「こちら」です。)
fu.福山城湯殿


それと同じような蒸し風呂を一般化したのは寺院でした。

衆生済度のため、人々の健康のため、一種の慈善事業として寺院には大湯屋という浴堂が建てられます。

鎌倉時代、源頼朝は鎌倉山内の浴堂で1日千人、延べ1万人の百日施浴を行っています。このように鎌倉

時代は寺院が人々を入浴させて、仏の教えを説く施浴風呂、施浴湯の風習が全国的に広まっていきます。

風呂や湯は、やはり特別の娯楽だったり、休養だったりで、武士の日常で体を洗い清めるのは主に行水に

頼っていたそうです。

戦国武将の間では「風呂会釈」とか、「ふるまい湯」といって客人や家臣を風呂でもてなす習慣があった。

これは大釜で盛んに湯を沸かしその湯気をスノコの下に導いて、密封した部屋に熱い蒸気を満たすのです。

武将たちは持参した褌(ふんどし)や湯帷子(ゆかたびら)をまとい、体を蒸して、脂をとかし、垢をすり落と

した。まさに今のサウナですね。

この湯帷子が、後の浴衣になったそうです。

ume 20120525 001


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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
一昨日の正解: 2代目 服部半蔵正成
徳川家康に仕えた、伊賀同心の支配役。いわゆる「服部半蔵」として世間でよく知られるのは、2代目 服部半蔵正成です。
しかし、彼はあくまで伊賀同心は配下の一部門であり、自身は甲冑を着て足軽を率いた武士でした。

≪本日の問題≫


                              <参考文献:戦国武将への大質問 歴史の謎研究会編>
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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ゆかたびらがゆかた、なるほど!

こんばんは、はじめてコメントさせて頂きます。
とても興味深いお話満載ですね。湯帷子(ゆかたびら)が浴衣(ゆかた)になったとは、納得です!

sayo さま

こんばんは、

コメントありがとうございます。
湯帷子は入浴時の必須アイテムだったようですね。

今、浴衣を着て入るお風呂は、砂風呂でしょうか。^^

戦国時代から、形、呼び名を変えて、今、使っているものが
結構あるのでしょうね。
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