前田利家 その36 『慶次郎、関ヶ原合戦後も上杉家に』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

【慶次郎、関ヶ原合戦後も上杉家に】

会津に呼応して石田三成が挙兵する形勢になったため、上杉景勝は徳川方に属する伊達政宗、最上義光

らと合戦しなければならなくなった。

咄然斎は名馬“松風”に打ち跨り、「大布遍牟者」の差物をなびかせながら、朱柄の槍をふるって、この合戦

いわゆる最上の陣に力戦奮闘、赫々たる武勲をあげています。

前田慶次郎供養塔(米沢市堂森善光寺)
ma.前田慶次郎供養塔

関ヶ原合戦の後、上杉家は会津から米沢30万石へ減封移転を命じられ、今度は家中削減です。

多くの武士が主家を離れ、また高名の者は諸大名から引き抜かれたりもしています。

前田慶次郎の場合は、その武名のゆえに、諸大名から7千石、8千石の高禄を持ってしきりに招かれたが、

わが主君は景勝おいてほかになしと、咄然斎はあくまで上杉家に止まり、景勝の子・定勝まで仕えたが、

やがて一代の快男子は穀蔵院咄然斎((こくぞういんひょっとさい))として生涯“かぶいた”末、ついに米沢

の地で没したという。

米沢の資料では、1612年6月4日に堂森で没したとされますが、慶次郎の生没は正確には判っていない

ようです。

sakura 20120527 001

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≪昨日の解答≫
一昨日の正解: 熱田神社
1560年5月19日、信長は『敦盛』を舞った後、昆布と勝ち栗を前に立ったまま、湯漬け(出陣前に、米飯に熱めの湯をかけて食べるのが武士の慣わし)を食べ出陣し、熱田神宮に参拝しています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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