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前田利家 その37 『葛西大崎の一揆』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

【葛西大崎の一揆】

咄然斎(ひょっとさい)が活躍した会津は、古来、奥羽の関門にあたる要所であって、会津を占める者が奥羽

の天地を制すとまで言われたところです。

1590年、秀吉は伊達政宗から取り上げた会津4郡と南仙道5郡、併せて42万石を蒲生氏郷に与え、また

小田原に伺候しなかった諸豪族の領地を没収すると、これを木村吉清とその子・清久に与えた。

蒲生氏郷は伊勢松阪12万石から42万石、木村吉清は5千石の小禄から葛西大崎30万石を領する大名に、

それぞれ出世したのです。

伊達政宗(1567-1636年)
da.伊達政宗yahoo辞書

ところが間もなく奥羽一揆が起こった。

原因の一つは、検地についての不平不満です。

ふたつ目は、葛西大崎の新領主となった木村吉清・清久父子の悪政失策です。

5千石の小禄から一躍30万石の大名になった木村父子は、急いで家中を増員しなければならなかったので、

50石、60石といった小身の侍たちを何百石、何千石という重臣にし、また諸国からあぶれた浪人たちを多数

新参の家臣に召し抱えた。

しかし、にわか重臣や新米侍たちは、持ちつけない権力に心おごり、領内の住民、それは農民ばかりでなく

、秀吉によって取り潰された旧豪族やその家臣たちまで、沙汰の限りの暴威をふるったという。

反乱は、まず出羽国で検地を不満とする百姓一揆の形で始まったが、たちまち木村父子の領地である葛西

大崎へ飛び火した。

この地方では旧豪族やその家臣たちが中心となっての反乱であったから、いわば烏合の衆に過ぎない木村

父子の軍勢では防ぎきれなく、佐沼城に追い詰められてしまった。

ume 20120528 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
一昨日の正解: グーで殴った
会津においての酒宴で傲慢な林泉寺の和尚を殴りつけてやりたい、と愚痴を洩らす者がいた。
これを聞いた慶次郎は、早速、林泉寺を訪ね、碁盤を見つけると和尚に一局勝負を申し入れた。慶次郎は、勝った方が負けた相手の頭を軽く叩く事を提案。
一局目に和尚が勝つと、デコピンで慶次郎の頭をそっと叩く。
二局目は慶次郎が勝つが、和尚を殴ることに躊躇いを見せる。和尚が気になさらずにと言うと、それでは、と鉄拳を固めて和尚の眉間に振り下ろし、鼻血を出して倒れる和尚を後目に、慶次郎は寺を離れたという。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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