前田利家 その39 『氏郷と政宗の和睦』

『加賀百万石の礎を築いた前田利家』

【氏郷と政宗の和睦】

蒲生氏郷と伊達政宗の粉糾対立の主要問題は、いわば武将としての意地、大名の面目といったような

ものであるから、これを調停するのも、気合であり達引でなければならない。

前田利家は京都の前田屋敷において茶会を催し、そこを調停の場とすることにした。

亭主は利家、相客が浅野長政、前田徳善院、細川忠興、金森法印ら歴々という茶席であった。

当日、蒲生氏郷と伊達政宗は、いずれも肩衣すなわち当時における礼服を着用して出席したが、互いに

相手を意識しているから精一杯に肩肱張ってぴりぴりしている。

伊達政宗(クラチー作)
da.伊達政宗 by クラチー 01

伊達政宗は、一尺七、八寸もある大脇差を腰に帯びていたので、茶席の雰囲気もさっと緊張感に塗りこ

められていまったという。

亭主の利家は微塵も心を動かさず、静かに眼を向けて

「伊達殿には伊達なるおいでたち」

さらり言ってのけた。政宗もさるもので、すかさず

「若者でござれば」

と応じた。

その問答に蒲生氏郷が硬い表情をゆるめたので、たちまち茶席は和んだという。

若いころは「槍の又左」などと騒がれて、かぶいていた利家も老熟したとでもいうのか、年輪とともに器量

を加え、このころは豊臣政権の重鎮として、もはや押すに押されぬ貫禄を備えていたようです。

両者の間に和気が生成したという報告に秀吉は喜んで、感謝して言った

「祝着々々! あの者たちは、こたびの戦陣に兵馬の限り戦って貰わねばならぬでな」

どうやらこの辺が、秀吉の本音らしかった。

既に朝鮮出兵のことしか念頭にない秀吉は、蒲生氏郷と伊達政宗を異国の戦線で存分に働かせるため、

ぜひとも和睦をさせておきたかったのでしょう。

ume 20120530 001

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≪昨日の解答≫
一昨日の正解: レオン
蒲生氏郷は千利休の弟子であった茶人仲間の高山右近の説得を受けキリシタンとなり、レオンという洗礼名を持っていました。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:前田利家(井口朝生暑)>
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あ、ああ~!?

いっ…いつの間にぃ!?
再び政宗くん使っていただき、ありがとうございますです!
うおぉ~ん(泣)
(ToT)
ふむふむ、風の又さぶろ…いやいや、
「槍の又左」ですか。
ツンツンしてそうなイメージですねぇ。
(-v-*)

クラチー さま

こんばんわ~

政宗くんは擦り切れるまで、遣わしてもらいます。♪
隅は少し丸くなってきました・・・。

政宗くんの雰囲気バッチリで、気にっています。☆

「槍の又佐」はジミで武勇はありませんが、お家のために
頑張ってくれました。
ハイ!
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