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平清盛 「保元の乱で清盛に助言した女性」

『去就を迷う清盛に助言した2人の女性』

保元の乱は父子や兄弟、一族が敵、味方に分かれて戦った殺伐した戦いでしたが、名のある武将は去就

に迷う者がいました。

清盛もそのなかのひとりでしたが、既に平忠正(清盛の叔父)が、崇徳上皇に側に馳せ参じていた。

崇徳上皇は後白河天皇を倒し、重仁親王の即位を実現させたいと考えていたとされます。

清盛の父・忠盛は、この重仁親王の教育係りをしていた関係もあり、伊勢平氏には忠正のように崇徳上皇

に心を寄せる者もいた。

平清盛像(京都・若一神社)
ta.平清盛像(若一神社)

清盛は崇徳上皇、後白河天皇のいずれの側につくか悩んでいたという。

そんな矢先、清盛と関わりが深い2人の女性が、相次いで後白河天皇の側へ加担を勧めたという。

その2人の女性というのは、池禅尼(清盛の継母)と美福門院(鳥羽上皇の皇后)の2人です。

池禅尼は忠盛の未亡人である池禅尼は、伊勢平氏と崇徳上皇とを繋ぐ唯一の人物です。この池禅尼は

忠盛の異例の出世を支え、猟官運動を続ける若き日の清盛を助けたという賢夫人でした。

この時、池禅尼は情勢を的確に分析して崇徳上皇の側の劣勢を見抜いたうえで、清盛に後白河天皇の

側へ馳せ参じるよう勧めたとされます。

さらに池禅尼は自身が産んだ平頼盛に対し、兄の清盛と同一行動をとるように命じることも怠っていませ

ん。

以上のように、古い人間関係に一切目もくれず冷静に情勢を分析して適切な助言を行ったのですから、

池禅尼は伊勢平氏の軍師的役割を果たしたといえます。

一方、美福門院は後白河天皇の側が勝利するには、どうしても清盛の力が必要と考えていたようです。

美福門院が調べたところ、清盛はまだ後白河天皇の側へ馳せ参じていなく、危機感を抱いた美福門院

は使者を送り、「鳥羽上皇の遺言」と称して、清盛に後白河天皇の側へ加担するよう勧めます。

このように池禅尼と美福門院の相次ぐ勧めを受けて、清盛は後白河天皇の側へ加担を決意したのです。



近くのバラ園で今日から「バラまつり」が開催されますので、雨降る土曜日に一足お先にバラを堪能して

きました。

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<クリックで拡大します>
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バラの名前は難しくて私には判りませんが、お好きなバラはありますか?

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 菅原道真
右大臣であった菅原道真は901年に、左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に権帥として左遷され、903年に同地で没しています。
道真の墓所の上に社殿を造営され、これが大宰府天満宮の始まりといわれます。

≪本日の問題≫


                              <参考文献:平清盛をめぐる101の謎(川口素生暑)>
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