「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その25

『於長の不幸の始まり』

前野長重と於長の結婚生活が幸せだったのは、お拾が生まれるまでの2年4ヵ月に過ぎず、お拾

いが生まれてからはむしろ不安におののく毎日であったでしょう。

聚楽第
ju.聚楽第

行く手に不幸が立ち込めており、その不幸が訪れるのを今日か明日かと待つ毎日だったのです。

それでも秀次が思い直して、関白の座を返上してくれるかも知れないというかすかな期待があった

のでしょうが、長重が誓書を差し出され、それを於長に打ち明けてからは、不幸がいつ訪れるのか

を待つ毎日から、地獄がいつ訪れるのかを待つ毎日に変わった。

そしてとうとうその時がやってきた。

父・前野長康とともに伏見の評定所に呼ばれていった木村重茲が帰って来てしかじかだという。

すると、これから屋敷に帰り、死に支度をしなければならないということで、

「それがしはこれにて」

と長重は秀次に断って御前をさがった。

木村重茲も同じくさがる。長重は重茲に聞いた。

「父上は?」

「三成殿に呼び止められて、なにやら話し合っておられた。まだ帰って来られぬところから察する

に、なにかごたごたがあったのかも知れませぬ」

誓書のことで、三成から耳打ちされたに違いないと考えざるを得ない。

「失礼します」

と、言って長重は聚楽第を後にした。



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                 <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その24

『古参の家来』

木村重茲は江州駆付衆、秀吉が長浜に城を持ったとき以来の古参の家来で、詰問はどれも噂の類。

そんなことを問題にされるのは心外だと反駁した。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

そこで三成は止めを刺すようにいった。

「誓書一件は如何。これについてどう弁明されるのか」

前野長重も木村重茲も誓書の一件は知らなかった。

弁明ができず、評定所を出ようとしたところへ三成が前野長康を呼び止めた。

「ひと足お先に」

と木村重茲は聚楽第に向かい、前野長康は

「なんでしょう?」

と三成に聞いた。

「実は・・・」

と三成は出雲守(小太郎)長重が誓書を差し出しており、また諸将諸侍に誓書を差し出すように求

めたと言った。

長康は聚楽第に向かわず、新しく建てた伏見の屋敷に帰って家来に言った。

「所領を返上して、(秀吉の)御沙汰があるまで蟄居する」

木村重茲は聚楽第に戻り、秀次に事の次第を報告して言った。

「このうえは伏見に赴かれ、みずから弁明なされませ」

「相分かった」

と秀次は言った。

普通なら、すぐさま一騎駆けしてでも伏見に出かけなければならないのだが、この期におよんでも

腰が重い。

秀次は言った。

「明日、でかける」



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その23

『こわっぱ役人・三成の詰問』

毛利輝元は

「関白殿下から金子を拝借したおり、御家来衆から誓書を出してもらいたいと言われました」

秀吉は目をむいていう。

「そこもとも差し出したのか」

毛利輝元(1553-1625年
mo.毛利輝元 001

「黄金3百枚をお借りしているうえに、お断りするのも角立つものですから、一門・家老と相談

して、関白殿下に対し奉り、太閤殿下と同様に馳走つかまりますと認めた誓書を差し出しました」

「追って沙汰する、今日のところは引き取れ」

秀吉はそういい、側近の石田三成らに命じて、誓書について探らせた。誓書1件は事実だった。

秀次は家来諸将諸侍60余人に誓書させていた。

とはいえ、実のところ有力な諸将侍、そのものずばり秀次に忠誠をつくしますという趣旨の誓約

書を差し出した者はひとりもいなかった。

差し出した60余人は殆どが家来で、それも主だった家来は前野長康の嫡男・小太郎改め出雲守

長重らほんの数人。

あとは渡りの稼ぎ侍など有象無象だったが、そんなことは三成らにとってどうでもよく、秀次が

誓書を出させたという事実だけで、「秀吉に対する反逆」。

こう決めつけうると考えた。

秀次の後見役は前野長康のほか、秀吉の名代として高麗に渡った4軍監のひとりだった木村重茲

も任ぜられていて、この二人は秀吉が本拠をおいた伏見の評定所に呼びつけられ、秀次の日頃の

行状について、三成から詰問に似た質問を浴びせられた。



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その22

『大義名分』

秀次は関白の座を降りようとしない。

秀吉はしびれを切らして次から次へと嫌がらせの攻勢をかけてくる。

聚楽第を秀次に譲った秀吉は、伏見に隠居所を縄張りした。

伏見城
fu.伏見城(模擬天守)

そこへお拾が生まれた。

名護屋から帰ってくると、大坂城をお拾に譲ることにして、隠居所のはずの建物を本格的な建物

な城にすべく普請にとりかかった。

縄張りも大きく変更し、どさくさに紛れに秀次が隠居所の近くに建てていた書院造りの建物を無断

で取り壊してしまった。

しかし、それでも秀次は関白の座にしがみついて離れない。

秀吉のいらつきは頂点に達するが、関白の座をひきずりおろすには、それなりの大義名分がなけ

ればならないが、それが見つからない。

秀次は諸将に金子を貸していた。

西国の雄・毛利輝元も秀次から黄金3百枚を借りた。

秀吉と秀次の仲が剣呑になったのを知って輝元は、秀次から借金していることを咎められるのでは

と心配し、秀吉にその旨を申し立てた。



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pig 20170613



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その21

『秀次では勝てません』

秀吉は天正12年3月から尾州で徳川家康と対峙する。

そのとき、摂津から美濃大垣へと移った池田信輝が秀吉にこう進言する。

「徳川勢は過半が小牧山に集まったようです。隙をうかがって三河に侵入し、諸村諸郷を焼き払

うというのはいかがでしょう。徳川方は仰天し総崩れになるはずです」

池田信輝(1536-1584年)
ik.池田恒興

この進言にもとづいて、秀吉は三河に5陣、総勢3万5千余人を送ることし、総大将は当時、三

好姓を名乗っていた秀次とした。

池田信輝が進言した秘策は間諜からの急報で、家康の知るところとなった。

徳川勢は三河に進む秀吉勢をひそかに追尾し、4月9日の朝、秀次勢が人馬を休めて兵糧を遺っ

ているところを急襲。

完璧に叩きのめした。

総大将の秀次はその身ひとつで、命からがら逃げるのがやっとというありまさま。

それがきっかけで秀吉側は大敗を喫した。

秀吉が激怒したことはいうまでもなく、秀次の無能をなじり、叔父・甥の縁を切るとまでいって、

秀次を遠ざけた。

武将として無能だっただけでなく、秀次は万事に無能で自分が微妙な立場におかれているのだとい

うのを理解しようとせず、酒と女に逃げた。

秀次は叔父の秀吉に似て異様に女好きで、譲ってもらった聚楽第にお手付きの女だけでも25人を

囲っていたという。



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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