『女城主・井伊直虎』 その29

『虎松が家康の家臣になるまで』

永禄4年(1561年)2月19日、今川氏の家臣である井伊直親の嫡男として、遠江国井伊谷近

くの祝田で生まれる。

母は奥山朝利の娘・おひよ、幼名は虎松

虎松(井伊直正 1561-1602年)*大河ドラマより
to.虎松

父の直親は、虎松が生まれた翌年の永禄5年(1562年)、謀反の嫌疑を受けて今川氏真

に誅殺された。

当時、虎松はわずか2歳であったため、井伊直盛の娘・次郎法師が井伊直虎と名乗り、井伊氏

の当主となった。

虎松も今川氏に命を狙われたが、新野親矩が助命嘆願して、親矩のもとで生母・おひよと共

に暮らす。

しかし永禄7年(1564年)、親矩が討死し、そのまま親矩の妻のもとで育てられたとも、

親矩の妹で直盛の未亡人・祐椿尼とおひよが養育したともいうが、永禄11年(1568年)、

甲斐国の武田氏が今川氏を攻めようとした際、井伊家家老の小野但馬が今川氏からの命令と

して、虎松を亡き者にして小野が井伊谷の軍勢を率いて出兵しようとしたため、虎松を出家

させることにして浄土寺、さらに三河国の鳳来寺に入れた。

天正2年(1574年)、虎松が父・直親の13回忌のために龍潭寺に来た時、祐椿尼、直虎、

おひよ、龍潭寺住職・南渓瑞聞が相談し、徳川家康に仕えさせようとする。

まずは虎松を鳳来寺に帰さないために、おひよが徳川氏家臣の松下源太郎(清景)に再嫁し、

虎松を松下氏の養子にしたという(『井伊家伝記』)。

天正3年(1575年)、家康に見出され、井伊氏に復することを許された虎松は、名を井

伊万千代と改める。

さらに旧領である井伊谷の領有を認められ、家康の小姓として取り立てられた。



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「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その18

『五大老宇喜多秀家』

南北朝時代以降の播磨の守護代・赤松氏の被官から身を起こした宇喜多氏は、これまた戦国の

梟雄といわれている直家の代になってついに主家・浦上氏を滅ぼし、備前・美作の大半を制し

て岡山に本城を構えるにいたった。

岡山城
ok.岡山城 20120210 006

宇喜多直家はいったん毛利についたが、のちに織田について信長が本能寺で討たれる前の年、

天正9年に没した。

跡を継いだのは当時わずか10歳の八郎、のちに秀家で、秀家は秀吉が晩年に設けた五大老の

一人に、家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元らと並んでわずか24歳で任ぜられる。

ちなみに、そのとき家康54歳、利家58歳、輝元43歳、景勝41歳。

異例の若さでの登用で、それだけ秀吉に可愛がられていたということであった。

ただ、領主としての能力には疑問符がつき、2度の朝鮮の役による財政難に苦しんでいるにも

かかわらず、財布の紐を引き締めようとせず、暮らし向きは放埓をきわめ、領民は苦しめられ

た。

秀家は利家の娘で、秀吉の養女で愛娘だった豪姫を妻に迎えており、豪姫が病気になったとき、

代々帰依している日蓮宗の僧に祈祷を命じた。

効き目は全くない。

秀家は怒って、領国内の日蓮宗の信者にキリシタンへの改宗を命じた。

それらのことが相次いで、重臣改修政策に賛成する派と反対する派に分かれ、また賛成する派

がキリシタンに改修して、反対する派が日蓮宗のままという。

宗教問題もからんで両者は激しく対立した。



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「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その17

『千姫に託す』

代々、熊野新宮別当職の任にあった堀内氏善なる者がいて、紀州新宮で2万7千石を領していた

が、関ケ原の戦いのとき石田方(西軍)に与して所領を没収された。

その子に、このとき21歳の氏久なる者がいて、夏の陣を前にしての招きに応じて大坂方に加わ

った。

大阪城 20161222 006

大野長治は、その堀内氏久と南部左門なる者らに、千姫の護衛を申しつけた。

大野長治は千姫にいった。

「助命の儀、よろしくお願いいたします」

千姫は輿に乗せられ、護衛の者と侍女が付き従った。

だが、その時すでに二ノ丸を包んでいた猛火は本丸まで迫っており、寄せ手の兵がまた行く手を

防げていて、千姫らは動くに動けず、堀内氏久が寄せ手の兵に向かって声を張り上げた。

「われらは大御所様の孫娘であらせられる千姫様をお守りして城を落ちようとする者。怪しい者

ではござらぬ。御助成をお願いいたす」

「いかにも御助成いたそう」

寄せ手の兵の大将のひとりがそう快諾したが、その大将がのちに思いがけない挙にでて、千姫に

災いをもたらすことになる。



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大坂城落城の記事は「こちら」です。

大阪城 20161222 009


              <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その16

『大坂夏の陣』

7日、徳川方に内通していた三ノ丸の台所頭が厨房に火をつけ、燃え上がる炎のなか徳川方は

三ノ丸に突入。

三ノ丸から二ノ丸の大蔵卿のせがれ大野長治邸に火矢を放って、二ノ丸も火に包まれた。

大坂城西ノ丸(2016.12.22)
大阪城 20161222 010

そのとき秀頼は、かくなるうえは出馬して討ち死にするまでだといい、七組頭衆のひとり速水

守久が、屍を戦場にさらすなど御大将のなさるべきことではありませんといって止めた。

とはいえ、敗色は濃厚です。

秀頼は淀殿、千姫、大蔵卿などの侍女、わずかの側近とともに本丸の天守閣に登ろうとした。

ここでまたも速水が口を出した。

「山里の郭に難を避けられませ」

山里の郭は人目につきにくい。速水がそういったところへ、総崩れとなって戦場から戻ってき

た大野長治がいった。

「千姫様に命乞いをしていただきます。それまで、山里郭の糒蔵(ほしいいぐら)にしのんで

おられませ」

こうなると人はとたん命が惜しくなる。

千姫の命乞いが聞き入れられることにかすかな望みを繋いで、秀頼、淀殿、大蔵卿などの侍女や

速水ら30人ばかりは糒蔵のなかに入った。



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江戸城のPiglet
pig 20170802




                  <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その15

『大坂の陣はじまる』

秀頼が20歳に、千姫が16歳になった慶長17年6月16日、千姫は鬢そぎの儀式を行った。

男子の元服に似た儀式で、秀頼があまりに大きかったからでしょうか、千姫は碁盤の上に立ち、

秀頼が筍刀(元服の時、理髪にもちいた小刀)で、鬢の裾を少し切り取ったという。

千姫(1597-1666年)
se.千姫(肖像画)

儀式を終えたその夜、2人はようやく初夜を迎えたのでしょう。

家康の態度が微妙に変化したときで、そのことは秀頼にも千姫にもなんとなく感じられたことで

しょうから、2人の初夜はけっして華やいだものではなかったことでしょう。

同じ年、慶長17年3月、秀吉の悲願であった方広寺の大仏殿が落成した。

2年後の慶長19年、22歳になっていた秀頼は、8月に大仏殿ならびに大仏開眼の供養を行う

ため、3月頃から大仏殿の釣鐘を鋳ようと思い立ち、東福寺の住職・清韓に命じて鐘銘を撰述さ

せた。

それに「国家安泰」「君臣豊楽」という文字が刻まれていて、家康は言いがかりをつけた。

家康はわざと大坂方(大蔵卿ら)から片桐且元を離反させるように仕向ける。

且元を離反させるということはとりもなおさず、家康を敵に廻すということにで、大坂方はまん

まと家康の計略にはまり、家康と敵対して大坂冬の陣へと突入した。

この陣はいったん休戦するものの、再び翌年慶長20年、秀頼23歳の年の4月に両者は対立、

開戦する。

4月26日から始まったこの戦いは、大坂方の必死の抵抗と善戦はあったものの、もとより家

康に抗するすべもなく、5月5日の夕刻には総大将の家康・秀忠の父子が着陣。

6日から総攻撃に出た。



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                   <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その20

『千姫を恩賞に』

主家を離れたのは直盛にとって結果的によかったが、この男は性格に難があった。

短期でこらえ性がなく、粗暴で落ち着きがなかった。

主人の秀家と対立したのもひとつには直盛がそんな性格だったからで、この大坂城攻めのとき、

直盛はこんな風聞を耳にした。

「大御所(家康)様が、千姫を救い出した者に恩賞として姫をとらせると仰せられているそう

だ」

千姫(1597-1666年)
se.千姫(肖像画)

千姫は生まれながらにして秀頼に嫁ぐことを義務づけられていて、7歳のときに秀頼に嫁いだ。

そのときの家康には、やがておのれが秀頼の息の根を止めることになるとは思いもよらない。

幸せになるだろうと信じて千姫を送り出した。

ところが、あにはからんや、秀頼は家康にとって、将来、強力な競争相手となるに違いない男

となって目の前に現れた。

これは危ない。

放っておくとこの男に天下を奪い返される。自分の目の黒いうちにと思って大坂冬の陣、夏の

陣と仕掛け、いままさに息の根を止めようとしている。

哀れなのは、幸せになるだろうと信じて送り出した千姫だ。

放っておいたら、婿(秀頼)や姑(淀殿)らと運命をともにしてしまう。

千姫に非はない。

なんとしても助けてやりたい。

家康らしくなく狼狽して周囲の者に

「千姫を救い出した者に恩賞として姫をとらせる」

と漏らした。

それを坂崎直盛は耳にした。


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2017 地元の夏祭り

『結構盛大な地元の夏祭り』

気が付けば、もう7月も終わりです。

今年最初の盆踊りは、地元の夏祭りに行ってきました。

今年はチョット早めに会場につきましたが、子供神輿から始まり高校生の和太鼓や中学校の吹奏

学部などは終わっていました。

2017 001

盆踊りは、第一部から第三部に分かれていて、各々30分程度でお年寄りに優しい盆踊りになって

います。

2017 002

第一回目は踊る人も少ないので、伸び伸びと踊っても、暴れながら踊っても大丈夫です。

次は高校生のマーチングバンド、殆どが女子で編成されていましたので、柔らかな印象でした。

2017 003

中学生によるソーランですが、カメラに収めるのは難しいです。

2017 004

2回目の盆踊り。

ハッピーを着ている人が多いですが、子供神輿からの流れでしょうか。

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このあと、オッちゃんベンチャーズが出演されていましたけど、楽しい出店廻りです。

出店は、一丁目から七丁目までの自治会で出店されており、業者さんの出店はなしです。

定番の焼き鳥にビール、フランクフルトに焼きそば、、どれも美味しかったです!

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3回目の盆踊り。

やぐらで踊るリーダーさんは、各丁目自治会の持ち回りで踊られています。

2017 007

なんと、飛び入りで太鼓をたたくお姉さんも登場です。

みなさん、それぞれ夏を楽しまれていますね!!


夏花火もすでに各地で始まっています。

こちらも出遅れてしまいましたので、日程を確認して出かけてみたいと思います。

みなさんも夏を楽しんでくださいね(^^♪




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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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